私のフランス体験記~レストランMa Poule(マプール)シェフ&ソムリエール市岡夫妻
現在プロとしていろいろな分野で活躍されている方に、フランスでの留学、修行、滞在体験談を語っていただくコーナーです。今回は、東京文京区の東大の近くにあります、フランスのジュラ地方 (Jura) の郷土料理をスペシャリテとしているフレンチレストラン「Ma Poule(マ プール)」のオーナーシェフ市岡徹也さんと、奥様でソムリエールの市岡ゆうこさんにお話を聞かせていただきました。
ブルゴーニュの片田舎のレストランを二人きりで任されたという経験を持たれるお二人ですが、どのような経緯でフランスに行かれたのでしょうか。
市岡シェフのプロフィール
市岡ゆう子ソムリエールのプロフィール
インタビューの音声(37分)
インタビューの書き起こし (市岡シェフ=T、ソムリエゆう子さん=Y、ロスティ=I)
I: 今日は東京の文京区にありますフレンチレストラン「Ma Poule (マプール)」のシェフの市岡徹也さんと奥様のゆう子さん、ゆう子さんはソムリエですね
Y: ソムリエです、はい
I: のレストランにお伺いして、どのような道のりを経てこのレストランをオープンしたのか、というお話を聞いてみたいと思います。よろしくお願いします。
T,Y: よろしくお願いします。
I: まずレストランの紹介をちょっとしていただきたいんですけれども、ジュラ地方の郷土料理を専門とするレストランということで、ジュラ地方のお料理ってどんな料理なんですか。
T: ジュラ地方は山の中にありまして、海から一番フランスの中で遠い地域になります。
I: スイスの近くですよね。
ジュラ地方 (Jura)
T: スイスの国境沿いです。ですので山の幸ですね、例えば渓流、川のお魚とか湖のザリガニとか…
Y: きのことか。
T: きのことか、あとはチーズ、バター、クリームをたくさん使ったお料理。いわゆる南仏とか海沿いとは全然違った料理になります。代表的なのが「コック オ ヴァンジョーヌ (coq au vin jaune)」といって、鶏肉をヴァンジョーヌで煮込んだ料理が最も有名な料理です。
I: 先日お伺いしたときも「伊達鶏とモリーユ茸のヴァンジョーヌソース」をいただいて、とても美味しかったんですけれども。
T: 煮込む料理が代表的な郷土料理なんですけれども、それをレストランの料理に少し変化させて出しています。
I: あれは、アレンジされた感じなんですね。
T: はい、もっと煮込み料理ですね、本来は。
I: ヴァンジョーヌ (vin jaune) というのは直訳すると「黄色いワイン」ですけれども、あれはどんなワインなんですか?白ワインですよね。
Y: カテゴリーでは白ワインなんですが、木樽の中で 6 年 3 カ月以上酸化熟成させるという、他に類を見ない伝統的な古い歴史のあるワインで、フランスの五大白ワインのひとつと言われているものなんですね。やはり今、世間的にもジュラワインが注目されていますので、そういうお客様もたくさんいらっしゃいますね。ワインが好きな方が。
I: あとチーズもすごくたくさんあると思うんですけど、私知らなかったんですが、コンテってジュラ地方のチーズなんですね。
T: みなさん結構知らずに食べられていますね。
I: そうなんです。私もフランスに住んでいた時は毎日普通に食べていたのですが、どこのチーズだかは知らなかったんです。
T: あと、モンドールとか。あれも結構知らずに食べられていますが、実はジュラなんです。
I: あと、モルビエもありますね。なるほど、ではやっぱり放牧地があるんですかね。牛とかたくさん。
T: はい、たくさんいます。
I: 牛をたくさん飼っているのでそのミルクでチーズを作ると。あとソーセージ、Saucisse de Morteau (モルト―ソーセージ)もジュラのですよね。あれも知らずに食べてました。いっぱいありますね、そう考えると。
T: なかなか日本では知られていないお料理ですね。
I: あとはキノコっておっしゃってましたよね。この前もジロール茸をいただきました。
T: モリーユ茸もあります。
I: じゃあ今はちょうどその季節ですね。
T: ジビエももちろんあります、森がたくさんありますから。
I: 猪とかですね。ジロール茸とかモリーユ茸とかはフランスから輸入されているんですか。
T: そうです。モリーユ茸に関してはフレッシュも時期ではありますけども、乾燥させたもののほうが、味が干しシイタケみたいに乾燥させることで旨味が増しますので、僕はあえてフレッシュではなくて乾燥を使ってまして、一年中使うことができますし、味がより良いということで乾燥を使っています。ジロールなんかはフレッシュの季節のときだけ入れてもらっています。
I: あとは日本のお魚とかを使って。
T: そうです、淡水魚。海の魚はほとんど使いません。
I: そうなんですね。このあいだも鮎でしたっけ?
T: アマゴです。アマゴとかイワナとか、ザリガニ、鯉。
I: 天然エクルビス(ザリガニ)は、北海道の阿寒湖のもの。
T: そうですね。
I: やっぱり海はないので川とかそういったところのものを使っているのですね。
T: これもあんまり日本では淡水魚を使う機会も少ないと思うんです。フランス料理ではなかなか使われない。
I: ジュラ地方ではよく使われる素材なんですね。
T: ええ、周りに川、湖がたくさんありますから。
I: わかりました、ありがとうございます。ではフランスに行くあたりのお話を聞かせていただけたらと思うんですけれども、市岡シェフは愛知県出身ということで、大阪のあべの辻調理師専門学校でお料理を勉強されたと。
T: はい。
I: 小さい頃から料理人になりたいと思っていらっしゃったんですか。
T: そうですね、中学生、高校生あたりですかね。元々好きというか、両親が仕事をしていましたので。製造業だったので昔は結構忙しくて日曜日もなかった。家におじいちゃんおばあちゃんはいたんですが。それでご飯を自分で作るようになりました、簡単なものですが、自分だけの。土曜日に帰ってきてお昼ご飯とか作っていました。別にそれは好きで作っていたというか、そこまでは考えていなかったんですけど。
I: そしてもっと本格的に勉強しようと。最初からフレンチに興味を持たれていたんですか?
T: そうですね、ただ別に当時食べに行ったこともなかったし、なんか、かっこいいなというくらいのことで。辻調理師専門学校って和洋中3つやるんです。フランス料理だけではなく、1 年間は一通りをやるんですね。その中で自分で選択して、就職先を見つけていく感じだったので、自分で勝手にというか、先生かっこいいなと思って。ドラマとか料理の鉄人とか当時やっていたので、そういうのを見てただの憧れで、何も考えずに最初は。
I: 学校にはフランス人のシェフの先生とかもいらっしゃるんですか?
T: フランス人のシェフはいなかったですね。外来の方は来られますが。
I: ゲスト講師みたいな。ちなみに学校でフランス語の授業はあったんですか。
T: フランス語の授業は、自分で選択すればありましたね確か。ただ僕はやらなかったんですが。
I: その後に、トゥールダルジャン東京。
T: その後に、少しだけ名古屋に戻って働いた後にトゥールダルジャンに行きました。それはですね、名古屋で働いていて、「辞めたいです」ってそこのシェフに言ったときに「どうするんだ」って言われて。フランスに行くのが憧れだったので「フランスに行きます」と言ったら「ダメだ」って言われまして。
I: なぜですか?
T: 「まだ早すぎるし、仕事もできないし、言葉も分からないし、そんなの行ったところで洗い物をして泣いて帰ってくるだけだから」と。その方も若い時にヨーロッパを回ってた方だったんで。
I: では愛知でもフレンチレストランで働いていたんですね。
T: はい、小さいホテルでしたが。そこで「ダメだ」ということで、「本当に行きたいんだったら、東京のフランス人シェフがいてフランスのシステムをとっているお店を紹介してやるから、そこにまず行きなさい」ということで、トゥールダルジャンを紹介していただいて、それで入れていただくことができました。
I: そこでシェフのドミニク コルビさんのもとで、モダンフレンチとクラシックフレンチを学ぶと。
T: はい。
I: じゃあずっとその頃から、いつかはフランスに行こう、とは思っていらっしゃったんですね。 「2000年渡仏」ですので 4 年ぐらいトゥールダルジャンで働かれていたと。で、その時に(その後に渡仏されて)バスク地方、リヨン、ブルターニュなどの各地を回って地方料理を学んだんですね。それは、レストランを紹介していただいたのですか?
T: はい、コルビシェフに紹介してもらいました。
I: 最初はどんなお仕事を?仕込みとかそういうところからでしたか?
T: いえいえ最初から…. 最初はリヨンのお店だったんですけど。着いた次の日からサービスに入って。要するに「フランス語のオーダーが君はわかるか」と。普通レストランって、オーダーが来て、シェフが例えば読み上げたのをスタッフが聞いて…
I: 「ウィ、シェフ!(Oui, chef !)」
T: そう「ウィ、シェフ!」でスタートじゃないですか。「それを君はわかるか」ということで。トゥールダルジャンではドミニク コルビシェフがオーダーを読んで、「ウィ、シェフ」でスタートというフランスのシステムの中で 4 年やってましたので、「わかります」ということを言ったら、「じゃあ君は次の日からポワソニエ(魚担当)でやりなさい」ということで、スタートです。だから、その時に僕が例えばトゥールダルジャンでやってなくて、例えば名古屋からダイレクトで行ってたら、もちろんフランス語のオーダーなんてわからないし、おそらく洗い物とか仕込みとかからだったとは思うのですけど。
I: じゃあドミニク コルビシェフのもとで働いたのが、かなり勉強になったということですね。そこでフランス語とかも結構勉強されたんですか。
T: 東京ですか?
I: はい。
T: 食材の名前とかルセット(recette =レシピ)もフランス語で来ますし、調理法とかもフランス語で、そこで勉強して。会話とかはないんですが、調理場で料理をすることに関しては自然と学ぶというか。そこは大きく違うというか、何もわからずに行くのとは全然違う。
I: なるほどわかりました。そのあと「ジュラ地方のアルボワ(Arbois)のミシュラン 2 つ星のジャンポール ジョネ氏と ロミュアルド ファスネ氏との出会いは大きく、その後の料理人人生の多大なる影響を受ける」と書いてありますけれども、ジャンポール ジョネ氏のレストランでお仕事された時にお会いされたんですね。
T: はい、オーナーシェフとシェフです。ジャンポール ジュネがオーナーシェフで、ロミュアルド ファスネが実際に厨房を仕切るシェフといいますか。
I: ここのレストランは、やっぱりジュラ地方のスペシャリテを出しているお店なんですね。
T: そうです。
I: どんな影響を受けられたんですか。
T: そうですね、例えば当時日本の厨房とかは、上下関係とか、軍隊に似たような厳しいところだったんですね。それでそこを出てリヨンに行ったとき、リヨンの最初のお店もちゃんと人として扱ってくれなかったというか。もちろん給料もないし、生活もほとんどなく、休みの日はただ寝るだけで朝から晩まで仕事で、結構厳しい厳しいとこだった。厳しいというか大変なところで、ちょっと嫌だなというか。せっかくフランスに来たんだし、もうちょっと違うことを勉強したいなと。イメージと全然違ったので、ちょっと醤油を使ってみたり。自分が思っていたフランスのフランス料理とちょっと違ったお店だった。で、人もちょっと冷たいというか。で、ドミニク コルビシェフに相談したところ、「ジュラのアルボワに友達のお店があるからそこに行ったらどうだ」ということで、紹介してもらって行った先が、土地柄なのか、すごく温かい人たちで。仕事はもちろん二つ星で厳しいんですけれど、いい加減にしているわけではないんですけれど、人としてすごく優しい人柄の人たちがいて、皆さんそうで。
で、楽しく仕事ができた。日本では楽しく仕事をするってなかなか当時はなかったんですね。厳しいんで、いろんな意味で。でリヨンに行ってもそういう感じだったし。初めてアルボワのジャンポール ジョネで楽しく仕事ができるという環境があって、どっぷりはまりました。
I: そこで何年ぐらい?
T: そこで2年。
I: そこのレストランは市岡シェフの他に外国人の方がいらっしゃいましたか?
T: 日本人の人もいました。
I: では、世界中から皆さんいらして。
T: そうですね。一年中いるわけではないんですけど、例えば夏だけベルギーから来ているとかいうことはあります。
I: なるほど。私は最初にこのレストランをたまたま検索して見つけたんですけれども、その時に「ジュラ地方のスペシャリテのレストラン」って見てすごくびっくりしたんですよね。この辺、神楽坂とかにはいっぱいフレンチありますし、リヨンのスペシャリテのお店がありますよね。あとブルターニュのクレープ屋さんもありますよね。そういういろんなフレンチがある中で、「ジュラ料理」って見て、さっそく「うちの主人のお誕生日にはここがいい!」と思って予約したんですけれども。ということは、ジュラでの経験がこのレストランの元になったという感じなんですね。
T: そこで初めて食べた「プレ オ ヴァンジョーヌ (poulet au vin jaune)」
I: このレストランのスペシャリテになっている
T: はい、それにも感動して「何なんだこの料理は…!」ということで。作っている人たちも優しい穏やかな人たちがやっているのも含めて、自分がお店出したときにはこの料理をスペシャリテとしてやりたいということで。
I: その時にこのレストランのコンセプトが決まったって感じですね。
T: はい。
I: その後に一回帰国されてますよね。2005 年にオープンした銀座の「Le 6ème sens」でシェフパティシエとしてレストランデザートを担当される。ここで 3 年間ぐらい?次に 2008 年に渡仏って書いてあるので 3 年弱かな。やってらっしゃったんですね。ここではパティシエということで、デザート作っていらっしゃったんですか。
T: そうです。
I: これもトラディショナルなフレンチですか。
T: シェフはドミニク コルビですよ、また。彼はトゥールダルジャンを辞めて、一度大阪に行って、それで銀座の「Le 6ème sens」のシェフとして行って、そこでオープンと同時にパティシエとして入りました。
I: 「帰って来い」って呼ばれたんですか。
T: そんなことはないですけど。
I: ちょうどタイミングがあったんですね。で、また 2008 年に再度渡仏されたということですが、これはどうして?
T: これもまたドミニク コルビシェフと、ブルゴーニュのサンス (Sens) にある 「ラ マドレーヌ(La Madeleine)」というお店のパトリック ゴチエとの共同経営で、フランコ・ジャポネというフランス料理ベースの日本のエッセンスを入れたような料理、今結構あると思うんですけどね、当時はおそらくなくて、パリにもたぶんそういうお店はなかったと思います。
その「MIYABI」っていうカウンターのお店をオープンするということで、「どうだ」って言われましてそれで「行きます」と。
I: そこでシェフとして 5 年半働いていらっしゃったと。 2 回目に行かれたときは最初に行かれたときとは違いましたか?
T: 全然違いました。やっぱり言葉が、最初は厨房の中はさっき言ったようになんとかなるんですけど、一歩お店の外に出るとさっぱりわからない状態だったし。2 回目っていうのはもうある程度の日常会話もできる状態で行きましたので。気分的に外国に行くって感じじゃなくて、東京から大阪に行くみたいな感じの気持ちぐらいで行けました。
I: ブルゴーニュ地方のサンス (Sens) っていうのは、もうちょっとパリ寄りですよね。パリに近い。
T: はい、北ブルゴーニュです。
ブルゴーニュ地方 (Bourgogne)
I: で、ゆう子さんもそのときにサンスにいらっしゃったんですか。
Y: そうです、その後に。シェフがMIYABIをオープンした一年後ぐらいに、またちょっと違うルートから私はワインの勉強をしに行って、そこで出会いました。
I: そうなんですね。ゆう子さんはちなみにどういう経緯をたどっていらっしゃったんですか。
Y: 私は東京でソムリエをやってまして、やはりワインに関わる中、もともとフランス文化にすごく憧れがあったので、いつか行ってみたいなぁというのは子供の頃からずっと憧れていて。みんな持ちますよね「パリジェンヌはおしゃれ」みたいな。で、やっぱり美術をやっていたので、もともと大学で美術をやってたので。
I: そうなんですか!
Y: 美大に行ってたので、そういう芸術であったりアートにも興味があったりファッションにも興味があったり。というので、もともとフランスにも興味があったんですが、ソムリエをやる中でやっぱり本場のフランスを見てみたいな、というのがあって。私30目前でワーキングホリデーを使って、最初は 1 年のつもりで行ったんです。
I: それはソムリエの勉強しに行かれたんですか。
Y: そうですね。
I: それはどこですか?ボルドーですか?
Y: それが、そのサンス。ブルゴーニュにワーキングホリデーでいきなり行ったんです。やはり向こうに日本人がいるので、「それも安心だろう」っていう切り口としてご紹介していただいて行ったのがサンスです。で、パトリック ゴチエとの出会いで。結局そこに5年ぐらいいることになるんですけど、のちのちは。最初は足掛りのつもりで行った場所でした。
I: そこでお二人は出会われたんですね。
Y: はい。
I: そこで、シェフとソムリエとしてお仕事をされて。その時にフランスで結婚されたんですか。
Y: はい。
I: なるほど。それでいつかは日本でレストランをオープンしたいねっていう感じで。やるんだったらジュラのお店って感じですか。
T: まあ、完全にジュラのレストランというよりも、”Poulet au vin jaune” という料理は絶対に自分のお店でやりたいな、ていうぐらいの感じでした、当時はまだ。
I: ちなみにゆう子さんは、ワーキングホリデーに行かれる前にフランス語を勉強されて行ったんですか?
Y: その美大の外国語の授業でちょっとやっていたんですが、本当に自己紹介ぐらいで。中学生がやる英語の授業ぐらいのレベルでしかその時はやってなくて、あとはフランス料理ベースのレストランでずっとやってたので、ワインの名前だったり料理の名前ったり、調理法だったりも少しフランス語が入ってくるので、なんかできる気でいたんですよ。で、なんとなく日常会話で使えるフランス語ぐらいはなんとなく理解してたので、「まあ、行っちゃえば大丈夫でしょう」ぐらいのつもりでいたら、大間違い(笑)
I: なるほど。じゃあ、MIYABIに行かれてそこでソムリエとしていきなり。
Y: はい、すぐにお仕事させていただいたんですけど。といってもフランス人だけだったもんね、お客様。
T: 二人しかいないんですよ、お店に。
I: え?そうなんですか?
T: そうです。
I: そうなんですか。ドミニック コルビ氏はいないんですか。
T: コルビさんはもちろん東京ですし、パトリック ゴチエも「La Madeleine」と「Au Crieur de vin」いうビストロが同じ建物にありまして、その一角に MIYABI っていう新しいお店を作ったんです。建物の中にはスタッフがいっぱいいるんですけど、MIYABIっていうお店の中には二人しかい。
I: そうなんですか!
Y: 裏全部フランス人で。厨房とかも洗い場も全部一緒なんですよ。
T: でも営業中は二人だけ。
I: そうなんですか、じゃあまさに今と一緒ですよね。
Y: 電話の予約もやらなきゃいけない。
T: 電話受けなきゃいけなくて。
I: それはきつかったでしょ。
T: オーダーとって、もちろん。
I: だって、ソムリエだからいろいろお話しなきゃいけない。
Y: いろいろ説明からね、全部急にやらなきゃいけなくなって。
I: それはかなり訓練された….。
T: スパルタです。(笑)
Y: 一ヶ月はスパルタで、毎日泣いてました。事務所の陰で一人で泣いてました。
I: すごい、それはすごいですね!
Y: そうですね、まさかそんなことになるとは…。
I: 全くお二人だけで。それはびっくりしました。それでも五年間、お二人で頑張ってこられて。それでやっぱりフランス語上達したでしょう?それだけ毎日を無理やり話さなきゃいけない状態だから。
Y: そうですね、死活問題なので。私は本当にベースがなくしかもある程度歳をとってから行ったので、やっぱり習得は難しかったのですが、パトリック ゴーチエともそうですけど、仕事を通してこう意思疎通しなきゃいけなかったんで、やっぱり家族のように皆さんが受け入れてくれたのですごく近しく接していたので、それは大きかったですね。
I: 素晴らしい。で、その後に2014 年に帰国された。お二人一緒に戻られたんですか。そしたら誰もMITABIにいなくなっちゃったんですか。
T: そうですね。
I: あ、そうなんですか。MIYABIは今どうなっちゃったんですか?
T: 今は閉店しています。
I: そうなんですね。そして今度はまたドミニック コルビ氏の「フレンチ割烹ドミニック コルビ」の立ち上げに魚と肉部門のシェフとして勤務された。
T: はい。
I: で、ゆう子さんはソムリエとしてそこに入られたんですか。
Y: そうですね、立ち上げの時に一緒にリスト作らせていただいたり、サービスの全部、立ち上げの際は。半年ぐらいかな私は。一緒にやらせていただいて。
I: なるほど。それでその間に、やっぱり自分たちのレストランをオープンしたいなというふうに思って準備されていたんですね。
T: はい。
I: で、2017 年にいよいよオープンされたと。わかりました。で、この「Ma Poule (マ プール)」っていうお店の名前なんですけども、「私の雌鶏ちゃん」みたいな感じで、男性が女性を親しく呼ぶ時の言葉なんですけど、このレストランの名前を「マ プール」にしたい由来っていうのは?
T: そのパトリック ゴチエシェフがいつもマダムを「Ma poule, ma poule (マプール、マプール)」って呼んでいたんです。
I: なるほど!
T: で、なんか響きもいいし。MIYABIを辞めて帰国するっていう最後の日に、ゴチエシェフに、帰ったらお店をやりたいのでそのときの店名を、彼の言葉ではないんだけどいつもそう呼んでいたので、「あなたのマプールという言葉を店名にしてもいいですか」ということを聞いたら、「そうしなさい」ということで「Ma Poule」という名前にしました。
I: でもなんか、スペシャリテも鶏のお料理だし、ぴったりですよね。しかもお2人でやってらっしゃるから、シェフが「Ma Poule! (ねぇちょっと、お前!)」って呼んでいる気がしてすごくいい感じですよね。なるほど。今じゃあ、 3 年目くらい。
Y: そうですね。もうすぐ年を越して4 年経ちます。
I: そうなんですか。ありがとうございます。
T: で、もし料理人で、料理人のことしか分からないんですが、僕のときも何人か日本人がいた時もあったんですけど同時に。やっぱりフランス語が少しでもわかる日本人、まあ外国人と、分からない外国人がいたら、少しでもわかる外国人の方にやっぱり話しかけるじゃないですか。で、仕事もわからない人に説明するのは面倒くさいから、時間もないし。わかる方に言ってくるじゃないですか向こうの人も。そうすると、自動的に仕事の量ももらえるし、分からないと、もうずっと相手にされない状態で。
Y: 技術があってもね。
T: 技術があっても。だから少しでもわかって行ったほうが絶対に得ですよね。で僕も行く前にフランス語個人レッスンとか行ってたんです。トゥールダルジャンに行きながら、行ってたんですけど、働きながらですし、週に 1 回とかですので、帰って勉強するってわけでもなかったので僕の場合は。なかなか覚えられないじゃないですか。
I: そうですよね。週に1回そこで習ってまた来週って感じでは。
T: だったので、シャルルドゴールに着いた瞬間にまったく何言ってるかわからないです。インフォーメーションに行って「パリまで、バス停どこですか」って簡単なきまった言葉は質問できるんだけど、その人が「じゃあそこをまっすぐ行っていって階段を降りて行きなさい」っていうのは全く分からないです。返答が全然わからなくて、という状態だったんです。だから、習いに行っていたけど、「もう全然わからないな。どうしようかな」って思ってたんです、最初は。でも、まったく日本でやらずにスタートした人と、少しでもやってスタートした僕と、最初は一緒なんですけどその後やっぱり全然差がついてくる、と思います。簡単なフランス語だけしか分かってなかったとしても、途中から差がどんどん出てくるんですよね。だから日本でやって行ったほうが絶対に、少しでもやったほうが伸びが早いと思います。最初は分からないと思う。一生懸命やって行ったとしても、最初はやらずに行った人と同じレベルかもしれないけど、伸びが全然違ってくると思うので、やっていたほうがいいと思います。
I: 同じ料理人の日本人の方で、むこうに行ったけれどもフランス語ができずにすごい苦労して帰ってきた、という人はいますか。
T: いっぱいいます。やっぱりそういう人たちはみんな悪口言って帰ってきます。やっぱり楽しめずに帰っちゃう。
I: コミュニケーションできなかったらね…。
T: できないし、イライラもたまちゃうし。
Y: あとよく、日本人だけで結局グループで集まっちゃって、ていう人たちも。
I: なるほど。じゃあお二人はもうフランス人の方々ともいっぱい交流があった。
T: そうです。
Y: 周りに日本人がほとんどいないし。
T: サンス、ブルゴーニュの時はいない。
I: そうですよね、すごい田舎ですものね、私もグーグルマップで探しました(笑)。なるほどね、しかもお客さんはすべてフランス人だし。わかりました。ありがとうございます。じゃあ、レストランの宣伝でもしますか(笑)。ちなみ私、この間いただいた時は「おまかせコース」だったんですけどアラカルトもあるんですか?
T: ないです。
I: お任せコースだけ。平日の夜も全部おまかせコース。
T: はい。
I: なるほど。日曜日のランチは?
T: も、同じです。今はちょっとあれなんですが、遠方から来る人とか、夜は行けない人とかに日曜日のお昼に来てもらって、いわゆる「ランチコース」みたいなものではなくて普段夜出している料理と同じものを日曜日のお昼にも出して、そういう方々に食べていただいています。
I: 私がこの前来た時はちょうど秋だったので、ジビエの季節でイノシシとかもあったんですけれども、ほかの季節はどういう…?
T: ザリガニです。
I: ザリガニ?!
T: 夏はザリガニです。夏から秋口までザリガニとか、もちろんアスパラとか、リードヴォー ( ris de veau 子牛の旨腺肉)とか。
I: Ris de veau、わぁ、うちの主人大好きなんです!
T: あ、そうですか。
Y: ぜひ来てください。
I: それは、いつごろ来ればいいんですか。
T: まぁ春とか。あと子羊もやりますし。また季節で全然違いますね。
I: へぇ、じゃまたぜひ違う季節に。季節変わったらぜひまた。ありがとうございました。
T,Y: ありがとうございました。
Restaurant Ma Poule (レストラン マプール)
住所:東京都文京区西片2-19-17
電話番号:03-3868-2518
お店に入ったとたんに、フランスの田舎のレストランに来たかのような気分になれる「マプール」。ジュラ地方の郷土料理を得意とされ、お料理にぴったりのワインも楽しめます。もちろん、ワインと一緒にジュラ地方特産のチーズも味わえるという贅沢さ。「しばらくフランスに行けなくて残念…。」という方も、日本にいながら本格的なフランスの郷土料理が食べられる特別なお店です。
コメントを残す
Warning: Undefined variable $post_id in /home/theone001/tresbien.co.jp/public_html/wp-content/themes/the-one-theme/comments.php on line 13
Warning: Undefined variable $post_id in /home/theone001/tresbien.co.jp/public_html/wp-content/themes/the-one-theme/comments.php on line 14