英語は日本人にとって必要ないか

最終更新日:2020年2月3日

Googleによって高性能な翻訳アプリが開発された昨今、「もう私たちは英語を勉強する必要はない」というコメントを見かけるようになりましたが、はたしてそうなのでしょうか。

あるサイトにこのような記事がありました。

ヨーロッパの子供達の92%が外国語を学んでいるのに対し、アメリカでは20%の子供しか学校で外国語を学んでいない

20%という数字は知りませんでしたが、この事実には私も気が付いていました。フランス人の子供を含め、ヨーロッパでは母国語+英語(必須)、さらにもう一か国語を学んでいる(話せる)子がほとんどなのに対し、アメリカの知人に聞くと「英語以外は話せない」という人の方が多いのです。けれども、これだけ英語が世界の共通語になった今、英語がネイティブの彼らがその他の外国語をわざわざ習おうとする気にはならないのはよく分かります。彼らにとってもはや英語以外の外国語を習うことは、フランス人がラテン語を学ぶことに等しいのでしょう(実際には、ヨーロッパのラテン言語を学ぶ上で、ラテン語の基礎を知っているのは非常に役立つことなのですが)。

一方で、ヨーロッパの子供達が母国語以外の外国語を学ぶのは、自国語が世界では通用しないことをよく理解しているからで、もはや「英語が使える」というのはパソコンやスマホが使えるのと同じように当たり前のスキルで、できなければ世界から取り残されるからです。

そんな中で、日本人が「Googleの翻訳アプリがあるからもう英語を勉強する必要はない」と言っていられるのでしょうか。英語のネイティブが「Googleの翻訳アプリがあるからもう外国語を勉強する必要はない」というのなら理解できますが、これだけ英語が世界の共通語になった現代に、英語すら翻訳アプリに頼るのは時代遅れだと思います。私がマレーシアに住んでいた時、Grabタクシー(Uberの東南アジア版)を毎日利用していたのですが、運転手の人に一番よく聞かれたのは「日本人はなぜ英語が話せないのか」ということでした。マレーシア、特に首都のクアラルンプールでは、ほぼすべての人が英語を話します。マレー系マレーシア人、中国系マレーシア人、インド系マレーシア人が共存する国マレーシアでは、学校では必ずマレー語を学習しますが、家では英語を話すという家庭も多くあります。そんな彼らの英語は、アメリカ英語やイギリス英語の発音とはかけ離れていますが(よく聞かないと英語とはわからない場合も)、英語には違いないのでコミュニケーションには問題ありません。彼らは英語が使えるので、海外のニュースもダイレクトに理解できますし、海外の会社と仕事をしたり、海外の大学に進学するのにも躊躇することがありません。

「日本人の9割に英語はいらない」という説もありますが、私はそんなことはないと思います。「海外の情報が日本語に訳されるのを待ってから情報を得る」もしくは
「日本語の情報だけに頼る」
「海外へのアウトプットは常に通訳を介する」
日本がこんな状態のままでよいわけがありません。

日本語と英語は言語間の距離が非常に離れている、つまり非常に構造が異なる言語ですので、日本人にとって英語の習得が難しいのは確かです。しかしだからといって、今ここで「翻訳アプリがあるからもう外国語の勉強は必要ない」と言ってしまっては、日本があらゆる面で今よりもさらに世界の流れから孤立していってしまいます。私はけして「日本語をおろそかにしてもいいから英語を習得しろ」と言っているのではありません。日本語は私たち日本人のアイデンティティを作り上げている一部ですし、日本語による思考が日本の文化を作ってきたのだとも思います。日本が他国にはないユニークな国であるのは、日本語が他の言語と比べて極めてユニークであることにも通じているはずです。そんなユニークな言語を話す日本人は、まずは「日本語は世界ではマイノリティ言語だ」ということを自覚し、ヨーロッパや東南アジアの人々のように英語という世界共通語をつかってもっと世界とつながるべきだと思います。

 

また、世界共通言語であるからという理由以外にも、外国語を学ぶべき理由があります。たとえば言語学や哲学の世界では、1世紀以上も前から言語と外界との関係についての議論が行われてきました。

「言語はそれ自体に、ある特定の世界観を含んでいるのか?」
La langue contient-elle en elle-même une vision du monde ? 

「言語はある特定の文化または人々の生き方に依存しているのか?」
La langue, dépend-elle de la culture donnée et d’une certaine façon de vivre ?

「世界の見方は言語によって変わるのか?」
La façon de percevoir le monde est-elle déterminée par la langue ?

私はポーランドの言語学者Grzegorczykowaの言った「我々は言語という眼鏡を通して世界を見ている(Nous regardons le monde à travers des lunettes que la langue nous a mises.)」という言葉に強く共感をしています。というのは私自身が英語、フランス語、スペイン語を話す時と日本語を話す時に、同じ物事であってもまったく同じようには表現できない、または自分の人格が少し異なると感じるからです。それはあたかも、言語を変えるたびに別の眼鏡をかけかえるかのようです。ひとつの物事でも、言語が変われば見方が変わるからこそ、日本語だけではなく英語を含めた他の言語を学ぶことによって、さまざまなものの見方や考え方が理解できるようになります。そういった点からも、私たちは英語を含めた外国語を学び続ける必要があると思います。

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